御手洗観光ボランティアガイディング雑録

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この街の歴史は北前船の経緯と付合する。
バスや鉄道のない時代、北前船は日本中の物資を運び、情報や文化の交流にも大きな役割を果した。 櫓か帆走以外に動力はもたない時代、瀬戸内海航行には『風待ち潮待ちの港』は必須条件だった。
ここはその絶対的な地の利が備わっていた為、全国の物資や情報や文化の集まる要衝となり、それに群がって仲買商人や政治家、文人墨客、参勤交代の諸大名などあらゆる階層の人々が競って寄港した。
そして時を追いながら未曾有の繁栄を遂げた。

活況に沸く界隈は、遊女たちが彩りを添え、その裏に遊女哀話も内包する“港町風情”を醸成した。当事の建造物群が居並ぶ街並みは、そんな時代を彷彿とさせる。
この地区は“重要伝統的建造物群保存地区”に指定され、島への架橋も完成し、今は大勢の観光客で賑わっている。観光者や私たちにとってはそれは喜ばしい。だがこの指定で、民家の増改築は厳しく規制され、現代慣れした子孫が住み継ぐにはかなり不便が伴う。そして住民の平均年齢が70才を超える今、旧い民家は一軒また一軒、空き家と化し、やがて伝統的建造物群から消えようとしている。

私など、誰より未熟ガイドも、往時の懐古話や、そんな話題で観光客と意気投合する。迫るクルーズ船の出発時刻と葛藤しながら、話は猶も断ちがたい。そして最後は、互いに手を振りながら名残惜しさを伝えあう・・・(^_^)/~。