瀬戸内観光ガイドシンポジューム;マイントピア別子研修

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観光ボランティア研修の一環として、総勢20名、マイクロバスに同乗して新居浜市のマイントピアを訪問した。 ここは当地は江戸時代初期から、昭和48年に閉山されるまで、かつては世界一の産銅量を誇った別子銅山。  銅の鉱脈は、カミソリの様に険しい山の頂上付近から、地中深くに分布しているが、開山中 300年の間に地中1,200mまで、くまなく採掘しつくした。
この間、江戸時代には人海戦術で岩盤を切り裂き、湧き水をくみ出し、銅鉱石を背負い出した、明治時代には坑内に電車やトロッコ、それに麓との物資運搬に索道が設置され、飛躍的に採掘能力が向上した。  険しい山の山上に、最盛期は『人口4,000人』という大都会が出現していた。
そんな歴史を如実に物語る、住居や学校などの生活遺跡、坑道の現場や銅の精錬施設や工場跡など・・・現存する広大な遺跡群を、現地ボランティアガイドの方の詳しい説明を受けながら見学した。


私たちの属している『呉』の場合、海軍や”戦艦やまと”の歴史ストーリーはあっても、現物は殆どが近代的に復興され、現物遺跡は殆ど遺っていない。  それに比べ、現物(遺跡)が目の当たりに見られるのはやはり迫力がある。