”回天”特攻の島;大津島 (2015-10-20)

 太平洋戦争末期、魚雷に大量の爆薬を搭載し、隊員自らが操縦して敵艦に体当たりするという【特攻兵器 ”回天”】の訓練基地が開設された大津島には、全国から20歳前後の精鋭たちが集まり、毎日厳しい訓練を繰り返していた。
 そして出撃の朝。隊員たちは多くの戦友に見送られながら、湾内に停泊した潜水艦に乗り込んだ。『出向』の合図とともに”回天”を搭載した潜水艦はわずかに白煙を遺し、音もなく進んでいった。
 
昨年【朝日新聞にあった投稿記事】から
 『特攻隊を目指す元予科練だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。オーイ、特攻で死んでいった先輩、同僚たち。「今こそ俺たちは生き返ったぞ」とむせび泣きしながら叫んだ。
山口県防府の通信学校で、特攻機が敵艦に突っ込んでいく時の「突入信号音」を傍受し何度も聞いた。先輩予科練の最後の叫び。人間魚雷「回天」特攻隊員となった予科練もいた。私も何れしぬ覚悟だった。』・・他人の投稿だが、朝日新聞の記事を引用させて貰った。

 ここは、『やまとミュージアム(呉)』、『呉鎮守府史跡』、『江田島海軍兵学校)』、『陸奥記念館(周防大島)』と合わせ【5点セット】にすれば感動が何倍増にもなる
 
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