吉和・芸北 紅葉狩りドライブ

今年の紅葉は格別鮮やかだ。
先月、飛騨~信州~富士五湖方面のドライブで、最高に美麗な紅葉を見てきた。
今度は県北(広島県)にでかけた。
今(11/3現在)県北の山々は、真っ赤、真っ黄、真っ橙の紅葉、常緑樹(緑)の絶妙なバランスで、すっぽり包まれている。
               ◇吉和・芸北紅葉狩りドライブ写真
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紅葉狩りドライブ(白山・白川ホワイトロード)

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飛騨、信州、富士五湖方面に 【紅葉狩り】ドライブに行って来た。
今年の紅葉は、全国的にも見事とのことだが・・・、 今回のドライブは
時期も最高、天気も最高、・・・行く先々で最高の紅葉が見られた。
中でも、『白山・白川ホワイトロード』 (旧名称;白山スーパー林道)は
あの雄大な白山が、全山紅葉に包まれるのは『凄い!』・・・の一声。


戦艦”大和”のふるさと 呉湾クルーズ


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   呉湾クルーズの運航 が始まった

  期間は、7月26日~9月13日までの 土・日
  出港は、呉中央桟橋から、各日共; ①9:50~、 ②10:50~、
 ③12:50~、④13:50~、  ⑤14:50~ の5便。
  所要時間は、 45分、
  


立山に行った(5月)

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2か月前(5月)のことだが・・・、天気も良かったし、やっぱり景色は雄大だった。
しかし、観光客はかなり大勢だが半分以上は外国人(台湾、香港、中国、韓国、
西欧人)だった。 それでもさすが大観光地だ !!。 交通窓口や観光案内なども、
流暢な英語や中国語で中々手慣れたもの。 傍目では非常に上手く捌いていた。

北前船の集まる港町”御手洗”=(ボランティアガイド)

 http://www.geocities.jp/mystyle700d/kure/p_lis31.gifかつて御手洗の入り江には、北前船でいっぱいでした。 その規模 『西日本随一』と言われる港町は、日本中の物資で溢れ、大勢の人が集まり、最新情報も飛び交っていました。
それは華やかな江戸文化に、色町情緒を帯びた 『江戸港町文化』の発祥地です。
そんな時代を彷彿とする街並みや、江戸、明治、大正、昭和へと時代の移りをじっくり感じられる建造物が数多く残っています。
しかしそれは建物と合わせ、海岸辺りには松並木が繁り、幟りが立ち並び、提灯が所狭しと飾られ、豪商人や、北前船の船頭、大工や色んな職人、鮮やかに着飾った遊女たちが、ひっきりなしに行き交い・・・三味や太鼓の音も響いてくる・・・、そんな『江戸港町』 の風情が漂う・・・そんな街並みです。
   http://www.geocities.jp/mystyle700d/kure/b_lis022.gif  街並みは平成6年『重要伝統的建造物群保存地区』に選定されました。
 街並みを通して、江戸港町文化、色町風情、江戸庶民の生活臭など・・・をじっくり感じて戴きたい。

 通常、短時間の見学では一部だけですが、私は(次の様な案内)をしています。


観光ボランティアガイド随想

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イメージ 4私が観光ボランティア活動を始めたのは『旅行が好き』だからだ。 若い頃は結構あちらこちらに行った。 その頃はどこに行っても土地特有な風情があり、非常に新鮮味が感じられた。 だが、今はどこの風景にも、鉄とコンクリートの巨大構造物の風景が目に障る。 しかも、新幹線駅も、JR駅舎も、道路も、ビルも、空港施設も、港湾施設も、民家も・・・、お土産品や人々の話す言葉も・・・一律に標準化してしまった。 
それは外国まで行ってもインターネットに国境はない、テレビも日本と全く同じ時刻に同じキャスターが語りかけている。 しかし街歩きで言葉が通じないのに異国情緒を感じるぐらい。 それも・・・今は、世界中どこでも英語は話せるのが当り前の時代になってきた。
イメージ 4世の中が急速に狭くなったと言うべきか、異国情緒が乏しくなったのはちょっと寂しい。しかしその反面、交通、通信、宿泊施設が凄く便利になって、以前とは比べものにならない程、広範囲の移動ができる。 それだけ珍しいものに出会うチャンスが増えた。
英語さえ話せば、どこの国に行っても珍しい所を沢山見学し、珍しい話が沢山聞ける。  一度の旅行で得られる知識量は、以前の比ではない。
イメージ 4呉の中では気づかない間に、広島でも宮島でも日本中の外国人観光客も以前の何倍増にもなっている。 世界は狭くなったと言うか・・・?しかしグローバル化は乗り遅れる人には容赦ない。
 私のガイドするお客様にも、世界旅行や珍しいものや歴史好きな人は結構多い。 ガイドの合間に、私の拙い体験談などをチラッと伝えるとお客様の反応は急変し、もっと興味深いことを教えて呉れる。 あちらこちらの珍しい話や歴史談を聞くと、私ももっと色んな所への好奇心が駆りたてられる。
 ボランティアガイド暦5年、そんな繰り返しで、結構色々な知見を広めた積りだが、知見が広まれば、もっと興味が湧いてくる。
イメージ 4 お客様にも、旅行を楽しさを覚え観光者人口(パイ)に加わって戴き、それが『呉への来訪客増加にも・・・』と思いながら、ガイドを続けている・・・。

     

元従軍慰安婦問題-2-

2.【強制連行】の意味について

 ところで戦時下、国家総動員法の下では、少しの国策批判でも直ぐ非国民とか逆賊呼ばわりされ、憲兵に連行されたりもした。 赤紙一枚で万歳三唱し必ずしも望まない戦地に出征もした。 戦地では上官命令には絶対服従軍紀が乱れない為、違反者には死に至る様な厳罰もあったと聞いている。 それを拒否する選択肢はなかった。 でも日本人はそれを【強制連行】とは言わない。
  しかし日韓併合で、『下等人種』と蔑視され面従腹背朝鮮人の立場ではどうか?  『それが【強制連行】でない』と形式で言えば、日・韓の話合いはまとまらないだろう。
       
 日本の人権擁護家は、従軍慰安婦問題を、『性奴隷』と女性の人格無視の極限の様に訴える。 しかしそれには大きな問題がある。 つまり、(慰安婦問題のみに)視野を狭めることにより、それよりもっと残酷な悲劇が隠されてしまうことである。
 私は、偶々30年前には韓国で仕事していたので、複数の韓国人から直接体験談を聞いた。 彼らの屈辱たるや、朝鮮半島の中で、韓国人は全て下等人種として差別され、日本兵に反抗すれば暴行されたり、連行されて帰って来ない人の話も・・・聞かされた。 しかし日本人の帰還兵や軍関係者は、現地でどんなことをしていたのか・・・?頑なに黙して語らない。

 証拠能力はなくても、テレビドラマなどで日本兵の暴行や強姦などに反抗して暴行されたり、子連れで崖下に身を投げるシーンに信憑性が感じられて拭えない。 日本の総理大臣は、『そんなことは架空ドラマに過ぎない、絶対にあり得ない』と公言できるだろうか?・・・。
 所が、当時のことを頑な語らなかった日本の帰還兵の一部が、90歳を超え余命が覚られる頃に漸く、NHKテレビのドキュメンタリーでは、『現地で扱いに困った捕虜に対して、上官から銃剣訓練や、処刑を命令され・・・』と、息を詰まらせながら、長い間の黙秘に耐え兼ねた心境を語るのに胸が詰まる。
          ( 全文を見る; ”私の歴史観” )